ここ最近、長女が毎月、発熱しています。
今回も38度ちょっと出てしまい・・
あまりにも心配になってしまったので
大きな病院を受診してきました。
お盆期間だから、近所の病院は全部閉まっていて・・。
急遽、夫に車を出してもらい大きな病院へ行ってきました。
病院の待合室でふと思ったんだけど、
「数年前まで、こんなふうに夫が協力して看病に手を差し伸べてくれることはほぼなかったな・・」って。
車を出すことって看病に入らなくない?😂
って思われるかもだけど、数年前まではこんなことあり得なくて・・。
少し遠い病院へ行くにも、夫は仕事を抜けられず、タクシーで行くこともありました。
(私は、ペーパードライバー)
そう考えた時に、夫のそんな行動が「なんで私ばっかり」という気持ちを助長させていたんだなぁって。
たくさん助けて欲しいわけではない
なんで私ばっかり・・と思っていた時は、とにかく夫に「育児への参加」をしてほしくて執着していたと思う。
「二人の子供なんだから、平等に対応してほしい」
「私ばっかり、仕事を調整するのはおかしい」
でもその時の気持ちを細かく紐解いてみると、実は、私はそういうことを本当に求めていたわけではなかった。
ほんのちょっと「車を出してくれるだけ」
ほんのちょっと「いつもより早く帰ってきてくれるだけ」
それだけで、私は、結構満たされたから。
無関心が一番悲しい
結局、一番辛いのは、実際に手を差し伸べてもらう「量」ではなくて、「気にかけているよ」という夫の気持ちだった。
子育てや看病に必死に対応して、奮闘しているのに無関心であるかのような態度(夫はそんなつもりなかったんだろうけど)が精神的に嫌だったんだと思う。
でも、夫が無関心であるように見えざるを得なかったのは、その時の夫の仕事環境や、会社の様子がそうさせていたんだろうなって今振り返ると思う。
納得感さえあれば、全てOK
子育てしている以上、夫婦の子育て負担は平等である必要あるのか?という問いに対しては、私自身は「そんな必要はない」と思っている。
というか、そもそも子供を産めるのは女性だけだし、母乳も女性しか出ない。「平等な子育て」って前提条件として無理なのよね・・。
「夫からの関心があるか」は別問題。
これが、おざなりになると、「なんで私ばっかり」に私はなってしまう気がする。
そして、人間「適材適所」があると思っている。
私は、夫のようにずっと外でバリバリと働くことはできないし(したいとも思っていない)、夫の活躍も応援したいと思っている。
さらに家事や子供の対応を心の奥では「私が主導権を握ってやりたい」と実は思っていたりする。
だからこそ、家事も育児もそして看病対応もほとんど私が担っているけど、それで納得している。
この「納得感「って夫婦それぞれ違うと思う。
大切なのは、何がお互いにとっての「納得感」に繋がるのかを話し合ったり共有することなんだろうなぁと思う。
みんなはどう思う?☺️
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